
沖縄県の県庁所在地である那覇に、どこか懐かしい匂いの残る街がある。栄町と呼ばれる昼は市場、夜は飲み屋、が立ち並ぶ街がある。沖縄県に走る沖縄都市モノレール、又の名をゆいレールの安里駅の改札を出て左に曲がり、足腰に自信のある方はぜひ階段側から降りる事を個人的にはオススメである。降りた先の交差点を左に曲がると、スーパー、飲み屋、交番、学校、住宅、公園まで立ち並ぶ一本道があり、そんな賑やかな街に立つその学校は、どこか味のある、いや、単に古いだけか、そんな佇まいの校舎から一転、新校舎となり、ひときわ存在感のある学校となっている。現在の校舎については悲しい程思い出の景色が無いが、通学していた学生時代を思い出しながら、紹介したいと思う。 校舎の正門をくぐると右手にグラウンド、左手に校舎があり、生徒指導の教員の手塩にかけた花々が歓迎してくれ、朝の早い時間から部活生の声がこだまする。たいがい、学校から家が近いやつ程、遅刻ギリギリで駆け込む姿をよく見かけ、アイツを見ると遅刻する時間と、もっぱら有名な学生がいた事も今思い出してもニヤける思い出だ。 私が通学していた頃は、スポーツや学業よりも巷の評判では、血の気の多い人が多い学校だったらしい。地元の学校名を名乗ると、色々なリアクションを目にしたものだ。校舎に停めた教員の車にブロック石が落とされたり、生徒指導に喧嘩を吹っ掛ける奴もいれば、有名新学校へ入学する学生もいれば、プロ野球選手に全国的歌手も卒業生にいる、個性豊かで多彩な生徒が集まる学校という事にしておくと、収まりが良い。 新校舎になり母校に行くこともないまま月日は流れてしまったが、現在通う学生達はどう感じながら母校どのよう目で見ているのだろうか。何か機会があれば是非伺ってみたいものだ。いつかの校舎の景色は卒業アルバムと記憶の中になってしまったが、色は褪せても、忘れる事が無いように、いつでも思い出の引き出しにオイルを挿し、思い出せるようにしたい。姿は変われど、貴重な日々をくれた母校で出会えた全ての人への感謝と尊敬を忘れずにいたい。