母校です。
母校に成りますが厳密に言うと、元は昔に岐南町と岐阜市の境界であった境川の東側の岐南町側に位置していた時、厚八(コウハチ)中学と言う名前で、今の岐南中学と厚見中学が合併されており、生徒数も隣町の加納中学と同じくらいの数だったと聞いておりますが、私が卒業後昭和53年頃不審火により、校舎が半分全焼した後、岐阜市が岐南町に借りていた形の敷地と校舎を返還し、私の同級生のお爺様名義の田を、中学校建設目的で役所職員が土地売買に夜交渉に見え、当初聖徳太子が紫のふろしきからピラミットの様に積んであり、迫力満点であったと聞いたのを覚えております。
その後に出来上がったのが、今の厚見中学校校舎です。今の場所も境川の横に隣接しています。