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市民革命と産業革命



ここでは市民革命と産業革命についてご紹介します。

市民革命とアメリカの独立

啓蒙思想

啓蒙思想

17世紀のヨーロッパでは、オランダが経済や文化の中心地でした。オランダは日本との貿易も行なうなど、多くの国と交易をしていました。フランスやイギリスは、オランダに対抗して産業を育てて軍備を整えました。1600年に、イギリスが東インド会社を設立して海外に進出し、茶や絹織物など海外の産物が広まりました。新聞や雑誌も発行され、博物館も建設されました。ヨーロッパ人の中には自由な思想を持つ者が現れ、ロックやボルテールは政治や社会を批判して自由な思想を唱えました。また、三権分立を説いたモンテスキューや人民主権を説いたルソーなどは啓蒙(けいもう)思想と呼ばれ、市民社会の成立に大きな影響をもたらしました。

アメリカの独立

アメリカの独立

イギリスでは国王が王権神授説をとって中央集権をめざしましたが、議会がこれに反対し内戦が勃発(ぼっぱつ)しました。そして、クロムウェルが指導する共和制の革命(ピューリタン革命)がおこりました。しかし、共和制は長くは続かず、1688、89年の名誉革命によって、国王を立て権利章典を制定しました。これにより、立憲君主制と議会政治が成立しました。

国民生活は充実し、すぐれた海軍も持っていたイギリスは、海外の植民地を拡大し、18世紀後半にはヨーロッパ最強国となりました。

北アメリカのイギリス植民地では、本国から移住する人が増えていきました。18世紀後半、イギリス本国が新しい課税を取り入れ、それを反対する運動を弾圧したため、1776年にフランスの支援を受けて、植民地で独立運動がおこりました。独立戦争に勝って「アメリカ」となった新国は、人民主権、連邦制、三権分立を柱とした合衆国憲法を制定しました。

ナポレオンの登場

ナポレオンの登場

17世紀後半のフランスは、国王が絶対的な権力を持つ絶対王政がしかれ、ヨーロッパの政治と文化の中心でした。しかし、言論が規制されたり、身分による貧富格差が大きいなど、庶民はその政治体制に不満を持っていました。こうした中で1789年に庶民が立ち上がり、フランス革命が始まりました。そして身分を廃止し、自由、平等、人民主義などを唱えた人権宣言が発表されました。しかし革命の波及を恐れる周囲の国々が軍を派遣したため、長い戦争が始まりました。フランス国内では王政は廃止され、革命軍が政権をにぎりました。これに反対するクーデターもおこり、不安定な状態が続きました。この中でナポレオンが権力をにぎり、1804年に皇帝になりました。ナポレオンは自分の一族を周辺国の国王に任命し、ヨーロッパの政治を支配しました。しかしフランスの支配に反対する人がしだいに増えていき、ナポレオン軍は敗退して1815年に支配が終わりました。

キーワード

キーワード
三権分立
権力を立法・行政・司法の3つに分けてお互いを独立させる考え。
啓蒙思想
現実的な理性を重視し、迷信や偏見など非合理的な考えを排除する思想。
ピューリタン革命
イギリスで、国王による政治体制を否定し、多数の人々によって政治を行なう共和制に転換した。清教徒革命とも呼ばれる。
名誉革命
イングランド王位のクーデターで、無血革命とも呼ばれる。
立憲君主制
憲法に基づいて国王や皇帝などの君主が政治を行なう形態。
議会政治
国民に選ばれた議員によって議会が開かれ、そこで政治が行なわれるしくみ。
フランス革命
国王が絶対的な権力を持っていた政治体制に反対した国民がおこした革命。

この時代の登場人物

この時代の登場人物
モンテスキュー
三権分立を唱えた思想家。
ルソー
人民主権をうったえた思想家。
ナポレオン
19世紀の不安定な状態だったフランスで、指導力を発揮して皇帝についた。ヨーロッパを政治的に支配したが、各国の抵抗にあって敗退する。

産業革命

「世界の工場」の誕生

「世界の工場」の誕生

18世紀後半、イギリスは大西洋の三角貿易により強力な経済力を持つようになり、世界経済の中心となりました。科学技術の発達と産業の仕組みの変革により、製鉄、機械、造船、軍事などの産業が急成長し、19世紀にイギリスは「世界の工場」と呼ばれるようになりました。この変革を産業革命と言います。

産業革命は、生産活動の中で資本を持つ者が経営者となり、賃金を払って労働者を雇う仕組みで、これを資本主義と言います。資本主義社会では様々な問題もありましたが、資本者と労働者の貧富の差が激しく、労働災害が続きました。そこで労働者たちは、自らの職業と生活を守るために労働組合を結成しました。資本主義が広がる中で、それを批判する社会主義の思想も現れ、マルクスなどが著書で紹介したことから、労働者や知識人の間に広まりました。

欧米の産業の発達

欧米の産業の発達

19世紀になり技術革新が進んだイギリスでは、二大政党政治や教育制度が充実しました。そして、世界各地に自由主義を広めました。

アメリカでは、ヨーロッパから多くの人が移住し、農業と工業が発達しました。1861年に自由貿易と奴隷制をめぐって国内が2つに分裂し、南北戦争がおきました。この結果、リンカーン大統領が指導する北軍が勝利をおさめ、合衆国の統一と奴隷解放を行ないました。

また、ドイツではビスマルクが首相になると、富国強兵を進め、1871年にドイツ帝国として統一され、重化学工業や医療が大きく発達しました。

キーワード

キーワード
三角貿易
大西洋をはさんだ貿易のしくみで、新大陸の資源を得るためにアフリカに雑貨や武器などを送り、アフリカから奴隷を連れてきて新大陸で働かせた。
産業革命
織機・紡織機野生鉄技術が改良され、ワットが蒸気機関を発明して新たに動力源を開発した。このように、工業分野を中心に様々な改良や開発が行なわれた革命。
資本主義
資本家が利潤を得るために、工場や機械などをそろえて労働者を雇って生産活動を行なうしくみ。
南北戦争
工業が発展して資本家が多く、奴隷制に反対する北部と、大農場が多く農業を主体として奴隷制に賛成する南部が対立して、戦争をくり広げた。

この時代の登場人物

この時代の登場人物
リンカーン
アメリカ大統領で、南北戦争では北部を指導し、勝利をおさめた。
ビスマルク
ドイツの首相で「鉄血宰相」と呼ばれ、富国強兵を進めて反体制分子を厳しく取り締まり、ドイツ統一に重要な役目を果たした。

アジアへの進出

アヘン戦争

アヘン戦争

19世紀の中国は清が治め、欧米との貿易は広州の港だけに制限していました。イギリスは工業製品を輸出していましたが、あまり販売が伸びず、常に赤字となっていました。そのため、清との貿易赤字をなくすために、イギリスはインドに工業製品を売り、インドで栽培したアヘンを清に密輸して、茶などを買うようにしました。アヘンを厳しく取り締まる清に対し、イギリスは軍艦で砲撃し、勝利しました。これをアヘン戦争と呼びます。

1842年には南京条約を結んで、イギリスは清に上海など5つの港を開港させるとともに、莫大な賠償金を支払わせ、香港を領土にしました。また、翌年には不平等条約を結ばせました。清はイギリスの賠償金をまかなうため、農民に重税を課したため、太平天国の乱がおきました。混乱する清をイギリスとフランスが攻め、首都・北京を占領しました。

キーワード

アヘン戦争
アヘンをめぐって清とイギリスの間で発生した戦争。イギリスが勝利をおさめ、清は経済的にも領土的にも大きな打撃を受けた。
太平天国の乱
アヘン戦争で敗れた清が、農民に重税を課して経済的な負担をまかなおうとしたことから、洪秀全(こうしゅうぜん)を中心に始まった争乱。